アヘン戦争 2014 6 29

2014年6月28日の時事通信社には、このようなニュースがありました。

「近代の屈辱」忘れるな 海洋主権で指示 中国の国家主席

【北京時事】6月28日付の中国共産党機関紙・人民日報によると、
習近平国家主席は27日、海洋防衛関係の会議で演説。
 「海洋防衛と言えば、中国近代史を思い起こさずにはいられない」とした上で、
「中国は貧弱で、侵略されるがままに任せ、
外敵は、わが国の陸と海から侵入し、中華民族に深くて重い災難をもたらした。
この屈辱の歴史を永遠に忘れてはいけない」と呼び掛けた。
(引用、以上)
 私は、このニュースを読むと、
アヘン戦争のことを思い起こさずにはいられないと思います。
 この戦争については、
以下の「アヘン戦争 2004 4 17」という文章を参照してください。
 アヘン戦争は、悲しく、不幸な戦争でした。
しかし、この戦争から、あえて、プラスの面を見出すならば、
「アヘン戦争で負けた中国は、外国勢力への抵抗と、
伝統社会からの脱皮という苦難の道を歩くことになり、
あまりに大きな痛みとなりましたが、
これが、中国近代化の出発点にもなりました」という点です。
 参考文献として、「詳説 世界史研究」(山川出版社)を推薦します。
私は、世界史を知るのに、ちょうどよい本だと思っています。

アヘン戦争 Opium War 2004 4 17
 1840年から始まった「アヘン戦争」の歴史的背景を点検しましょう。
これは、イギリスと中国の貿易問題が原因です。
 当時、イギリスは、中国の茶を輸入し、
その代金を、銀で支払っていました。
 しかし、茶の輸入量が増加すると、
銀による支払いも増加し、イギリスは苦しい立場となりました。
 そこで、イギリスは、インドで、アヘンを製造させ、
そのアヘンを、茶の購入代金としたのです。
つまり、「銀での支払い」を「アヘンでの支払い」に変えたのです。
 これにより、中国社会は、アヘン吸飲というものが、
社会全体に広がり、大きな社会問題となりました。
当時の中国政府は、アヘンを禁止しました。
 しかし、当時のイギリスにとっては、
アヘンが、重要な「貿易通貨」となっていましたので、
このアヘン禁止は、大きな痛手だったのです。
 こうして、これが、アヘン戦争へと発展していくのです。
この戦争は、「自由貿易の実現」という大義名分がありましたが、
現実は、アヘンという麻薬ビジネスが生み出す、
巨額の利益を確保するための戦争だったのです。
 そのため、この戦争は、イギリス国内では、「不正義の戦争」と呼ばれました。
イギリス国内でも、こうした戦争に対して、強い反対論があったのです。
しかし、資本家や大商人の強い意向により、この戦争は断行されたのです。
 このアヘン戦争で負けた中国は、
外国勢力への抵抗と、伝統社会からの脱皮という苦難の道を歩くことになり、
あまりに大きな「痛み」となりましたが、
これが、中国近代化の出発点にもなりました。



























































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